誰でもやれば出来る!偏差値31からの早稲田大学法学部合格! since 2020/4/1  


大逆転人生!奇跡の早稲田大学合格の先に待っていたモノとは?
 
偏差値31の無名の県立高校のビリ男子高校生が、難関と言われる早稲田大学法学部に合格した話!
※学校創立以来初めての合格者となりました!!
 
 
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 管理人のhossieです。もうすぐ還暦を迎えます。
 当サイトでは、早稲田大学卒業後30年以上経った今感じる、受験勉強の意義とその後の人生、早稲田大学で出会った仲間達の現在の活躍の様子等についてご紹介致します。
 これから中学・高校・大学受験を目指す学生さんや、保護者の皆さんにご覧いただけたらと思います。
 

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●第一章 「自分は頭が悪い!」ということに気づいていなかった高校時代
 ❷部活に明け暮れ、全く勉強をしなかった毎日(カノッサの屈辱で0点を逃れる)

 高校に入学後、友達に誘われて陸上部に入部することにしました。
 私が通っていた高校は部活動や体育祭などの学校行事が盛んで、私もこの学校に来たからには何かやろうと思っていました。
 陸上部に入ったのは、他に出来そうなスポーツが無かったと言うのが正直な所でしたが、足も大して速くなかったので、練習について行くだけでも大変でした。
 陸上部に入部した新入生は、私を含めて10名いました。私の所属していた中長距離ブロックは7名でしたが、陸上経験者は後に主将となったKくん1名だけ。私たちの期は完全な素人集団だったので、K君を除いては全員中学生以下のレベルでした。
 最初のスポーツテストの1,500m走で5分を切った者が一人もおらず(K君は5分0秒でした)、あまりのレベルの低さに顧問の先生や先輩たちの顔には落胆の色がありありと見えました。
 高1の秋くらいから試合に出るようになりましたが、私たちの期はほとんどビリに近い順位ばかりで、悲惨な状況を見兼ねた顧問の先生は、ある決断をしました。
 12月のある日、我々の学年全員が呼ばれ、顧問の先生は私たちにこう言いました。
 「いいか、よく聞け。今のみんなの実力では、高校3年になっても個人で県大会に出ることは難しい。だから駅伝一本に絞って練習をして、全員の力で関東大会を目指そう!」
 この提案に私は否定的な考えを持ってしまいました。「個人で県大会にも行けないのに、皆でやったって関東大会なんて行けるわけないよ」
 私の後ろ向きな発言に、友人のTくんは猛反発しました。「hossie、そんなこと言わないで皆で関東大会を目指そうぜ!」普段温厚なT君のあまりの迫力に何も言えなくなってしまい、後ろ向きな気持ちはあったものの、皆と一緒に駅伝の練習に取り組むことにしました。
 その一年後に幸か不幸か、物事は取り組み次第で結果が大きく変わることを学ぶことになります。
 毎日最低10㎞、夏合宿では1日30㎞の以上も走り込み、県立高校としては相当厳しい練習をした結果、私以外のメンバーは順調にタイムを伸ばし、想定していた5,000m16分30秒を全員が突破しました。
 私に猛反発したT君はチーム内で最も成長し、横浜市民戦の5,000mで優勝するまでになっていました。最初のスポーツテストの1,500mで私よりも遅いタイム(5分40秒)だった彼が、ここまで成長したのです。
 私は記録を伸ばし切れずに後輩にもタイムで抜かれ、本番前日にメンバー落ちと言う憂き目にあいました。
 県高校駅伝の結果は過去最高の13位となり、関東大会出場(6位入賞)こそならなかったものの、目標タイムに近いタイムで走り切り、好成績に沸く仲間たちを尻目に、ひとり涙しながら帰路に着きました。
 私は余りの情けなさとショックで、大好きだった高校を2日も休んでしまい、その後一週間部活を無断欠席しました。
 友人のT君からは「hossie、練習やろうぜ」と声を掛けられましたが、「俺もう辞めるから」といじけた返事に終始していました。
 ところが一週間もすると頭も冷えて、今部活を辞めることは恥ずかしいことだと思うようになりました。中途半端な気持ちで練習をしていたことが、全ての元凶だと気づいたからです。皆に頭を下げ、再び練習に戻りました。
 その後私は、人が変わったように練習に集中しました。もう二度とあんな嫌な思いをしたくなかったからです。練習は正直で、一生懸命やれば結果はそれなりについて来ます。
 県大会には出場できなかったものの、自分の納得できるタイムを出して、陸上部を引退することが出来ました。そしてこの時に頑張れた体験が、その後の人生にもプラスの影響を及ぼすことになります。

 話を勉強の話題に戻します。
 陸上部の練習がかなりきつかったこともあり、授業中はほとんど寝ていました。中学の頃から勉強が出来なかった人間が何も勉強しなければ、どん底まで落ちるしかありません。
 高校3年間を通じて、学校の成績は常にクラスで下から5番以内でした。それでも自分が馬鹿だと気付かない、脳天気な状況だったのです。
 定期テストの点が悪くても、全く気になりませんでした。ただ流石に0点はマズいので、それだけは避ける努力?をしました。
 例えば世界史の試験では「カノッサの屈辱」は絶対に試験に出るだろうと思い、40か所くらいに「カノッサの屈辱」と書き込み、1点を確保しました。その他の○×で点を拾い、この時の世界史の点数は5点(何と140点満点の試験でです💦)と何とも酷い点数でしたが、0点にならなかったことで満足していました。
 物理なんかも酷かったですね。公式を覚えないで試験に臨むのですから、点が取れる訳がありません。お情けの中間点のみの2点なんて時もありました。
 この時、私の後ろの席のHくんは、何と0点でした。
 彼は一浪の末、青山学院大学経済学部に合格します。H君は、「まぐれで受かった!」と言っていましたが、そうは言っても彼も頑張ったのだと思います。
 うちの高校からでは、青学なんてなかなか受かりませんから。

 次の頁は『❸高3の模擬試験で偏差値31(全大学E判定)で学年ビリに、流石に「これはマズい」と思った私!』です。

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