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私の履歴書

 無名の県立高校でビリだった私が、何故学校創立以来初の早稲田大学法学部の合格者になれたのか、そのきっかけとなった出来事とその後の人生についてご紹介します。

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●まえがき
はじめにお読みください
ビリギャルよりも凄い? 
管理人hossieから皆さんへのご挨拶

 私は現在、東京都内に本社を置く一部上場企業に勤務するサラリーマンです。
 今から約40年前、私は神奈川県の無名の県立高校を最低の成績で卒業し、早稲田大学法学部に合格しました。
 何年か前に名古屋市出身のビリギャルが慶応大学に現役合格した映画が話題になりましたが、私の早稲田大学法学部合格は、それ以上の奇跡だったと思います。
 私が卒業したS高校は、レベル的には神奈川県内で公立・私立を合わせて60番目位の難易度です。
 当然のことながら、早稲田や慶應に受かる人はほとんどいません。私が通っていた当時、慶応大学の合格者は0、早稲田大学の合格者は何名かいましたが、ほぼ全て夜間部(第二文学部や社会科学部)と言う状況でした。
 S高校は当時、創立から10年ほどしか経っておらず、現在のセンター試験に当たる共通一次試験の実績も全国平均以下であったことから、現在よりも更にレベルは低かったと思います。
 そんな我が母校において、高校3年の時に校内で実施された旺文社の模擬テスト(今はもうありませんが、駿台よりも20くらいは高い偏差値が出ると言われていました)で偏差値31、校内順位がビリだった私が、一年間の浪人の末に難関の早稲田大学法学部に合格したことは、当時職員室内でも大きな話題となったようです。
 当然のことながら、学校創立以来初の早稲田大学法学部合格者だったのですが、当時は早稲田大学を受験する生徒自体もほとんどおらず、周りの友人からは「hossie、お前に一体何が起こったんだ?」と驚かれました。
 そんな私も50代半ばを迎え、学生時代の仲間と再び集まることが多くなりました。
 今でも高校時代の友人が自分には一番しっくりきますが、早稲田大学で出会った仲間からは高校時代の仲間とは違う、多くの刺激をもらいました。そしてその後、バブル経済の波に乗り、運よく一部上場企業に就職し、現在は部長として働いています。
 早稲田大学法学部合格を転機として、自分の人生は大きく変わったと思っています。
 その理由の一つが、出会える人の幅が大きく広がったことです。
 大学で出会った仲間は勿論のこと、その後就職をした会社や取引先の方々は、優秀な人が多く、魅力的な個性や能力を持っているが多かったのです。
 そうしたレベルの高い人たちのいる世界に身の置くことになり、自分も人として大きくレベルアップ出来たのではないかと感じています。
 よく「勉強して一流大学に入ることに意味なんてあるの?」とか「受験勉強なんて将来何の役にも立たないからやっても無駄」と言った学生たちの声を耳にします。
 考え方は人それぞれだと思いますが、私は受験勉強をしたこと、そしてその結果として早稲田大学法学部に合格出来たことは、その後の人生において大きなプラスになったと感じています。
 当時を知る人からは今も、「hossieはビリギャルなんかよりもっと凄い!」と言われますが、私ももうすぐ定年を迎える年齢になり、自分の人生を振り返る意味も込めて、「私の履歴書的なもの」を書いてみることにしました。
 このサイトでは、大学卒業から30数年が経った今だからこそ感じる受験勉強の意義や大手企業に入ることの良さ、そして多くの刺激を与えてくれた早稲田大学の仲間たちのその後の社会での活躍などをご紹介したいと思います。
 定年を間近に控えた年配サラリーマンの書いた記事ではありますが、受験を控えた学生の皆さんにもお役に立てるよう意識して書きましたので、ご興味のある方は是非ご一読ください。
 なお、内容は全て真実ですが、登場人物の名前だけは仮名とさせていただきました。悪しからずご了承下さい。

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