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私の履歴書

 無名の県立高校でビリだった私が、何故学校創立以来初の早稲田大学法学部の合格者になれたのか、そのきっかけとなった出来事とその後の人生についてご紹介します。

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●第三章
大学受験2 ~浪人生活に突入、予備校に薄氷の思いで合格
❿当時の勉強法について1(スケジュールの立て方と唯一決めたルール)

 受験までの準備期間はたったの一年。とは言え一年はある意味長丁場でもあるため、毎日規則正しい生活を送ることを心掛けました。
 駿台予備校の授業は8時過ぎから始まるので、毎朝6時には起きないと間に合いません。夜は遅くとも12時には寝ることにして、授業に集中出来るようにしました。
 毎日のスケジュールは、日曜日の夜に一週間分まとめて作っていました。
 スケジュールは基本的に毎回そう変わらないのですが、自分の中で決めていたルールがありました。
 それは、その時間にやらなかった予定は、それっきりリカバーしないことです。例えば「火曜日の夜7時~8時に日本史のこのテキストをやろう」と決めたら、何らかの事情で出来なかったとしても、もうそれでおしまいと言うルールにしたのです。
 私は怠惰な性格で、集中が長く続かずにだらだら過ごしてしまうで、リカバリーが出来ないようにして自分を追い込むことで、スケジュールを確実にこなして行くことにしたのです。
 もう一つ実践したのが、ボールペンを使って書いて書いて書きまくって覚えるということです。
 前述の悪友、杉崎君がやっていたのと同じ方法ですが、他の人より記憶力で明らかに劣る私にとって、覚えるまで書き続けると言うボールペン学習法は大変効果的でした。
 インクを使い切ったボールペンは30本近くになり、その数が増えていくことは自己満足ではありますが、勉強量の裏付けとして一つの自信になっていました。
 毎日のスケジュールは、50分刻みで教科を入れ替えました。間の10分間は休憩なのですが、この休憩時間に英単語や漢字の勉強を入れました。
 漢字や英単語を覚える時間を気分転換の時間にして、次の勉強への繋ぎとしたのです。
 つまり実質的な休憩は無く、ずっと勉強していました。だって考えてみて下さい。中学生レベルから難関校を目指す人間に、ゆとりなどある筈がありません。
 予備校から家に帰ってからは、食事と風呂の時間を除いて全て勉強時間に当てました。それでも一年で十分な学力が付くのだろうかと言う不安に、常に苛まれていました。
 電車の中も貴重な勉強時間でした。主に古語や英単語の暗記時間に当てていましたが、当時の東海道線のラッシュは今と比較にならない程酷く、乗客を電車に押し込むアルバイトがいた程です。
 単語帳を開くのも厳しかったので、単語カードを作って手元でパラパラとめくれるようにしました。
 電車での勉強時間があったお蔭で、英単語集(試験に出る英単語等)は2冊分、英熟語集も3冊分、古語も1冊分を何度も繰り返し勉強することが出来ました。
 そして就寝前には山川の日本史用語集を見ることにしました。やらなければと言う気持ちと眠気が交錯するのですが、やはり直ぐに眠りに落ちてしまうことが多かったです。
 ただこのやり方のお蔭で、日本史用語集は全て頭の中に入りました。今考えるとすごく勉強をしたなと思います。

 次の頁は『⓫当時の勉強法について2(科目別の勉強方法)』です。
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