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私の履歴書

 無名の県立高校でビリだった私が、何故学校創立以来初の早稲田大学法学部の合格者になれたのか、そのきっかけとなった出来事とその後の人生についてご紹介します。

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●第四章
いよいよ受験本番、「やるだけはやった」と言う開き直りの心境
⓭第一志望の慶応大学で大失敗!そして意外な大学から合格通知が!!

 あっという間に年が明け、いざ受験本番となりました。
 一番最初の受験校は、上智大学法学部法律学科でした。私は上智大学法学部は、早慶上智の中で最も受かる可能性が低いと思っていました。
 何故ならあまりにも英語が難しすぎて、過去の赤本で一度も最後まで解き終われなかったからです。
 設問の数が多く、長文でしかも内容が難しいので、合格はほとんど期待しておらず、むしろ本命の早慶の慣らし運転のつもりで受けたのですが、何故かこの年だけ問題の量が少なく、最後までマークシートを塗り切りました。
 日本史や国語は元々それほど難しくない大学でしたので、試験が終わった直後は、「ひょっとしたら受かる可能性が少しはあるかも?」と思いました。
 2校目は学習院大学の法学部でした。皇族も行かれる品のある大学ということで受験をしたのですが、試験当日、校門の前で受験生同士が怒鳴りあいのけんかをしていました。
 恐らく肩がぶつかったか何かだと思うのですが、「そんなけんかっ早い人はこの大学には似合わないよなぁ」等と思いながら、彼らの前を通り過ぎた記憶があります。
 学習院大学については特に何のプレッシャーもなかったので、自然体で受験をすることが出来ました。
 問題の難易度と自分自身の出来から、まず間違いなく合格しただろうと言う感触を得ました(結果合格していました)。
 その数日後、第一志望の慶応大学法学部の試験になりました。3校目の受験でしたのでまさか緊張することなどないと思っていましたが、そのまさかが起こってしまいました。
 いつになく緊張し、その前に受けた2校の時と比べて、気持ちに焦りがあったような気がします。
 さらに想定外なこともありました。慶応大学法学部は毎年基本的な問題を出題していたのですが、この年だけ何故か異常に難しい問題が出題されました。
 全く問題が解けない状況に、「こんな筈じゃない…」そう思えば思うほど焦って行き、手も足も出ないまま英語の試験が終了しました。
 残りの日本史はほぼパーフェクトでしたが、あの英語の状況ではまず受からないだろうと思いましたが、その通りでした。
 慶応大学法学部は二次試験(面接)があるのですが、私はあえなく一次試験で不合格になりました。
 ただ、今考えると緊張したから受からなかった訳ではないと思います。
 あの英語の問題は、当時の私の実力では緊張していなくても解けなかったと思うからです。
 難解なうえにマークシートと言うことで、実際に番狂わせも起こっていました。
 私の友人でS高校出身のS君は、慶応大学法学部だけ不合格で、その他の難関大学全てに合格しましたが、S君も「慶応の英語は異常に難しかった」と言っていました。
 兎にも角にも、私の慶応大学進学の夢は閉ざされることになりました。
 ところが慶應の入試日には、良いこともありました。何と上智大学から合格通知が届いていたのです。
 受験前、全く受かることなど考えていなかったのですが、やはり受験は水物。この年以外だったら間違いなく不合格だっと思うのですが、最後までマークシートを塗りつぶせたことで、幸運が転がり込んで来ました。
 ちなみに私が通っていたS高校から上智大学法学部に合格した人は、それまで一人もいませんでしたので、私が学校創立以来初めての合格者になりました。
 あれから約30年が経ちましたが、私の知る限りそれ以降も合格者はいないと思います。それくらい上智大学法学部は難しかったので、今でも合格したのが不思議でなりません。
 まだ早稲田大学の受験を控えていましたが、取りあえず2浪は無くなりホッとしました。
 とは言え「慶應が駄目になった今、早稲田しかない!」当時の私はそんな切羽詰まった気持ちになっていました。
 早稲田大学の受験の前には成城大学と青山学院大学の試験がありましたが、受験するかどうか迷いました。予備校や母校のS高校の合格実績に貢献できるので、受けることにしたのですが、手応えとしては両校とも100%受かったと言う感じでした。
 私は発表を見に行かなかったのですが、父親が見に行って合格したことを教えてくれました。

 次の頁は『⓮早稲田受験は連荘がスタンダード!政経・法・商学部を連続受験』です。
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