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私の履歴書

 無名の県立高校でビリだった私が、何故学校創立以来初の早稲田大学法学部の合格者になれたのか、そのきっかけとなった出来事とその後の人生についてご紹介します。

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●第四章
いよいよ受験本番、「やるだけはやった」と言う開き直りの心境
⓮早稲田受験は連荘がスタンダード!政経・法・商学部を連続受験

 2月も半ばを過ぎ、いよいよ大学受験も最終章を迎えました。
 早稲田大学の受験を持って、この一年の浪人生活が終了します。
 私立文系を目指す男子学生の中では、当時早稲田はとても人気がありました。
 今は慶応大学の方が人気のようですが、当時は早稲田の法学部と慶応の法学部の両方に合格した場合、ほとんどの学生が早稲田に進学していました。勿論偏差値も早稲田の方が高かったです。
 私の周りの人にも、どうしても早稲田に入りたいと言う人が沢山いました。早稲田の何学部と言うのではなく、とにかく早稲田大学に行きたいと言う学生が当時は沢山いたのです。
 早稲田の入試は最後に固まっているので、そういう学生は連荘の受験になります。政経から始まり法学部、商学部、一文、二文(当時は夜間)、教育、社会科学部(当時は夜間)と7連荘の試験となる人も結構いました。私は政経・法・商の3連荘でしたが、これが当時の早稲田受験のスタンダードだったと思います。

 話を戻しましょう。
 早稲田大学の受験は、政治経済学部から始まりました。既に上智大学法学部に合格していたので、進学の可能性があるのは政治経済学部と法学部になりますが、過去の問題との相性から政治経済学部の方が合格の可能性が圧倒的に高いと思っていました。
 政治経済学部は基本的な問題が多く、大体7割くらいの正答率で合格出来るのに対して、法学部の問題はクセがあり、6割くらいで合格できる目安となっていました。
 私は基礎的な問題については反復によりかなりこなせるようになった一方、この年の慶応大学のように問題が極端に難しくなると太刀打ちが出来ませんでした。
 そうした意味である程度の難易度までは着実に得点が期待できる政治経済学部の問題の方が自分に向いていると思っていましたし、予備校のチューターの方からもそのように言われていました。
 ところが受験は水物です。過去問ではずっと出来ていた政治経済学部の問題が、とても難しく感じました。緊張もあったのかもしれませんが、いつものように行かなかったのです(実際に合格点を見ると、例年よりかなり低かったので、難しかったのでしょう)。
 政治経済学部の受験が終わり、帰路につく私の中では既に受験が終わっていました。
 自分には法学部は難しいと思っていたので、上智大学に行くことになるだろうと思ったからです。
 上智大学は素晴らしい大学ですが、当時私は早稲田か慶應のいずれかに行きたいと思っていたので、その夢が終わったと感じたのです。
 しかし翌日、またも奇跡が起こります。この年まで早稲田大学法学部では国語の試験において漢文はほとんど出題されていませんでしたが、この年に限って出題されました。
 これには多くの受験生が面食らったのではないかと思います。漢文の出題頻度はどの大学でもあまり高くは無いので、予備校の授業でも出席している人の数が少なかったからです。
 私もビックリしましたが、一応勉強はしてきたので、問題を解くことに集中しました。
 一回目に問題に目を通したときには難しくてよく分からなかったのですが、二度目に読んだ時にひらめきを感じ、完璧に解くことが出来ました。
 早稲田大学法学部の入試は150点満点(英語60点、国語50点、社会40点)で、約6割取れば合格と言うのが例年のパターンなので、そのうちの10点程度を漢文で取れたと言うのは大きなアドバンテージになりました。しかも苦手な国語でしたので、なおさらです。
 全体的に難しいので、出来たと言う手応えはありませんでしたが、まあ自分の力は出し切れたと言う満足感はありました。
 そして翌日、大学受験の最後となる早稲田大学商学部の試験が行われました。この時点で私は完全にプレッシャーから解放されており、楽な気持ちで試験を受けることが出来ました。
 早稲田大学商学部の試験は基本的なところを押さえていれば解ける問題が多く、自分には向いていると思っていたのですが、ここだけは予想通りの結果となりました。
 問題は3科目ともほぼ完璧に解けました。商学部は7割程度取れれば合格出来るのですが、9割程度は出来た感触だったので、100%合格した自信がありました。
 かくして私の大学受験は終了し、あとは合格発表を待つだけになりました。

 次の頁は『⓯早稲田大学法学部に合格! 6勝2敗の結果に!!』です。
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