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私の履歴書

 無名の県立高校でビリだった私が、何故学校創立以来初の早稲田大学法学部の合格者になれたのか、そのきっかけとなった出来事とその後の人生についてご紹介します。

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●第四章
いよいよ受験本番、「やるだけはやった」と言う開き直りの心境
早稲田大学法学部に合格! 6勝2敗の結果に!!

 長かったような短かったような浪人生活も、あとは早稲田大学の合格発表を残すのみとなりました。
 当時の合格発表は番号を学内に掲示する方式でしたが、私の家から早稲田キャンパスまでは2時間近くもかかり、電車代も馬鹿にならないことから、早稲田の合格発表は3学部分をまとめて見に行きました。
 まずは政治経済学部から見ましたが、やはり不合格でした。後に大学に問い合わせをして分かったのですが、私の得点は最低合格ラインに10点及びませんでした。
 政治経済学部の入試は230点満点でしたので、合格ラインには遠く及ばなかったことになります。
 まあ仕方がありません。この結果は試験を受けた直後に予想していましたから。
 続いて法学部の掲示を見に行きました。そこには私の受験番号がありました。でも信じられずに何度も見返しましたが、やはり間違いなくあります。
 法学部の合格発表は2日前ですので、私以外に掲示板の前には誰もいなかったと記憶していますが、何故か周りをきょろきょろと見回す自分がいました。
 合格者は入学手続き書類を貰う必要があるので、案内に従って書類を取りに行きました。
 早稲田大学の封筒に入った入学手続き書類をもらっても、全く実感がわきません。
 ボーっとしたまま建物を出たのですが、私はハッと我に返りました。「そうだ家に連絡しなくちゃ」
 携帯電話の無い時代ですから、連絡手段は公衆電話しかありません。程なく電話ボックスを見つけ、10円玉を握りしめながら母親に連絡をしました。「お母さん、法学部に受かってたよ!」
 母はとても喜んでくれました。「良かったねぇ」と電話越しに涙ぐんでいたのが分かりました。
 そのあと商学部の合格発表を見に行きました。商学部にも受かっていましたが、法学部に合格した後だったので、もう感激はありませんでした。
 念のため必要書類は受取って、帰路につきました。そこから家に帰るまでの状況について、私は全く何も覚えていません。ある種の興奮状態だったのでしょうか?
 東西線に乗ったことも山手線に乗ったことも全く記憶にないくらい頭が真っ白になっていたのでしょう。かくしてこの日、私の早稲田大学への進学が決まりました。
 その数日後、私は母校のS高校に行き、高3の時の担任だったH先生に早稲田大学法学部に合格したことを伝えました。
 凄くビックリするだろうと思って行ったのですが、H先生は「そうか」と一言言っただけで、あとは世間話に終始しました。
 これには流石の私も拍子抜けしてしまいましたが、私の周りにいた仲間たちはびっくり仰天し、瞬く間に私の早稲田大学合格の噂は仲間内で広まって行きました。

 大学受験の最終結果は以下の通りとなりました。
・早稲田大学法学部 〇合格
・早稲田大学商学部 〇合格
・上智大学法学部法律学科 〇合格
・成城大学法学部 〇合格
・青山学院大学法学部法律学科 〇合格
・学習院大学法学部政治学科 〇合格
・早稲田大学政治経済学部経済学科 ×不合格
・慶応大学法学部政治学科 ×不合格

 受験を勝ち負けで表現するのもどうかと思いますが、結果は6勝2敗と大きく勝ち越しました。
 一年前の6戦全敗からすると、大きくジャンプアップすることが出来ました。

 次の頁は『⓰どうせ「がり勉」しかいないだろうと思っていたら…』です。
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