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受験役立論
受験勉強は人生をより豊かにする!
定年間近のサラリーマンからのメッセージ
「受験勉強は意味がない」
「勉強は嫌いだからしたくない」
そんな学生諸君に伝えたい!!
『受験勉強は、こんなに役立ちましたよ』
8/20㌻:❽予備校が熱い時代!当時の駿台予備校には全国の猛者が集結!

 もうすぐ定年退職を迎えるサラリーマンのhossieです。高校は進学校には行けず、その高校でも下位の成績に甘んじていましたが、一念発起して受験勉強に取組み、偏差値31から早稲田大学法学部に合格しました(高校創立以来、初の合格者でした)。
hossie
 全くの劣等生だった自分が受験勉強に正面から向き合ったことで、その後の人生がより豊かなものになりました。

❽予備校が熱い時代!当時の駿台予備校には全国の猛者が集結!

 かくして駿台予備校の私文2類(お茶の水)に通うことになった私でしたが、衛星授業など存在しない当時の駿台予備校には、地方からも沢山の学生が集まって来ていました。
 それまでは限られた神奈川県内の人たちとしか知り合う機会がありませんでしたから、県外の人たちと知り合いになれたことは、当時の私にとってはとても新鮮な経験でした。
 私が特に仲が良かったのは、前橋高校(群馬県)出身の黒田君、城ノ内高校(徳島県)出身の内藤君、白鴎高校(東京都)出身の山﨑君、春日部高校(埼玉県)出身の水上君の4人でしたが、彼らの卒業した高校は、各県でトップクラスの高校です。
 私がS高校の出身であると伝えると、全員から「S高校?聞いたことないなぁ」と言う返事が返って来ました。
 当時の駿台予備校は私文1類は勿論のこと、私文2類も有名高校の出身者で溢れていました。
 私の隣の席は女子学院の女の子でしたし、日比谷高校、新宿高校、都立青山高校、芝高校などの進学校が目白押しで、予備校とは言え「自分はよくここに入れたもんだなぁ」と思ったりもしました。
 日比谷高校出身の人と何人か知り合いになりましたが、面白かったのは初対面の際に「日比谷って凄いじゃん」と言うと、必ず「昔はね」と言う答えが返ってきたことです。
 近年、東大合格者数で約50年ぶりにトップ10入りし、名門復活と言われている日比谷高校ですが、当時は進学実績で苦戦していたこともあり、「昔はね」と言う言葉が口癖になっていたのでしょう。
 それでも私から見れば優秀な人ばかりでしたけど。
 私のいた私文2類でもこんなに凄かったので、私文1類は本当に凄い人たちばかりだったのだと思います。
 本当か嘘か、私文1類のA組(一番上のクラス)に入るのは、明治大学に合格するより難しいなんて言う噂もあったほどです。
 
当時は「生徒の駿台、講師の代ゼミ、机の河合」と言われていました。
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 ちなみに前橋高校出身の黒田君は私と同じ早稲田の法学部に、城ノ内高校出身の内藤君と白鴎高校出身の山﨑君は中央の法学部に、春日部高校出身の水上君は明治の商学部にそれぞれ進学しました。
 共通の友人を介して、東大を目指している人とも何人か知り合いになりました。
 そのうちの一人が東大コースに通っていた希望ヶ丘高校出身の細山君でした。
 彼は英語が得意で、英語の勉強法がさっぱり分からなかった私は「どんな参考書を使ったら良いの?」と尋ねたことがあります。
 彼は、駿台文庫の英文解釈教室が良いよと教えてくれましたが、細山君曰く「このテキストを自分は3回やったよ。凄くためになると思うね」と言うので、「そっか~、これを3回やれば英語はなんとかなるんだね」と答えると、「いやいや、そんなのみんなやっているよ。それだけじゃ差はつかないから、最低限だと思うよ」と平然と言われ、こんな難しいテキストを3回も繰り返してやっと普通なんだとショックを受けました。
 でもやるしかないです。3回が普通なら自分は5回はやろうと思い、通常の予習復習の他にこのテキストを徹底して勉強しました。
 結局7回ほどやりましたが、あれほど難解に感じたテキストも3回目くらいから理解できるようになり、最後は書いてあることのほぼ全て理解できるようになっていました。
 ちなみに先ほどご紹介した細山君は、見事に東大の文2に合格しました。
 彼は現役の時に早稲田の法学部に合格する程出来が良かったので、てっきり文1に行くのだと思っていたのですが、後で聞いた話では文1に確実に受かる自信がなかったから文2にしたとのこと。
 あんなに出来るのに文1に行けないのかと思うと、東大の凄さは尋常では無いなと改めて感じました。

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