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私の履歴書

 無名の県立高校でビリだった私が、何故学校創立以来初の早稲田大学法学部の合格者になれたのか、そのきっかけとなった出来事とその後の人生についてご紹介します。

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●第三章
大学受験2 ~浪人生活に突入、予備校に薄氷の思いで合格
❽駿台予備校で出会った仲間たち

 かくして駿台予備校の私文2類(お茶の水)に通うことになった私でしたが、衛星授業など存在しない当時の駿台予備校には、地方からも沢山の学生が集まって来ていました。
 それまでは限られた神奈川県内の人たちとしか知り合う機会がありませんでしたから、県外の人たちと知り合いになれたことは、当時の私にとってはとても新鮮な経験でした。
 私が特に仲が良かったのは、M高校出身(群馬県)のK君、J高校出身(徳島県)のS君、H高校出身(東京都)のY君、K高校出身(埼玉県)のM君の4人でしたが、彼らの卒業した高校は、各県でトップクラスの高校です。私がS高校の出身であると伝えると、全員から「S高校?聞いたことないなぁ」と言う返事が返って来ました。
 当時の駿台予備校は私文1類は勿論のこと、私文2類も有名高校の出身者で溢れていました。
 私の隣の席は女子学院の女の子でしたし、日比谷高校、新宿高校、都立青山高校、芝高校などの進学校が目白押しで、予備校とは言え「自分はよくここに入れたもんだなぁ」と思ったりもしました。
 日比谷高校の人とは、3人ほど知り合いになりましたが、面白かったのは初対面の際に「日比谷って凄いじゃん」と言うと、必ず「昔はね」と言う答えが返ってきたことです。
 近年、東大合格者数で約50年ぶりにトップ10入りし、名門復活と言われている日比谷高校ですが、当時は進学実績で苦戦していたこともあり、「昔はね」と言う言葉が口癖になっていたのでしょう。それでも私から見れば優秀な人ばかりでしたけど。
 私のいた私文2類でもこんなに凄かったので、私文1類は本当に凄い人たちばかりだったのだと思います。本当か嘘か、私文1類のA組(一番上のクラス)に入るのは、明治大学に合格するより難しいなんて言う噂もあったほどです。
 ちなみにM高校のK君は私と同じ早稲田の法学部に、J高校のS君とH高校のY君は中央の法学部に、K高校のM君は明治の商学部にそれぞれ進学しました。
 共通の友人を介して、東大を目指している人とも何人か知り合いになりました。
 そのうちの一人が東大コースに通っていたK高校出身のH君でした。彼は英語が得意で、英語の勉強法がさっぱり分からなかった私は「どんな参考書を使ったら良いの?」と尋ねたことがあります。
 彼は、駿台文庫の英文解釈教室が良いよと教えてくれましたが、H君曰く「このテキストを自分は3回やったよ。凄くためになると思うね」と言うので、「そっか~、これを3回やれば英語はなんとかなるんだね」と答えると、「いやいや、そんなのみんなやっているよ。それだけじゃ差はつかないから、最低限だと思うよ」と平然と言われ、こんな難しいテキストを3回も繰り返してやっと普通なんだとショックを受けました。
 でもやるしかないです。3回が普通なら自分は5回はやろうと思い、通常の予習復習の他にこのテキストを徹底して勉強しました。
 結局7回ほどやりましたが、あれほど難解に感じたテキストも3回目くらいから理解できるようになり、最後は書いてあることのほぼ全て理解できるようになっていました。
 ちなみに先ほどご紹介したH君は、見事に東大の文2に合格しました。
 彼は現役の時に早稲田の法学部に合格する程出来が良かったので、てっきり文1に行くのだと思っていたのですが、後で聞いた話では文1に確実に受かる自信がなかったから文2にしたとのこと。
 あんなに出来るのに文1に行けないのかと思うと、東大の凄さは尋常では無いなと改めて感じました。

 次の頁は『❾意外にも楽しかった浪人生活』です。
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