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受験役立論
受験勉強は人生をより豊かにする!
定年間近のサラリーマンからのメッセージ
「受験勉強は意味がない」
「勉強は嫌いだからしたくない」
そんな学生諸君に伝えたい!!
『受験勉強は、こんなに役立ちましたよ』
15/20㌻:⓯桜咲く!早稲田大学法学部に合格、周囲からは驚きの声が!!

 もうすぐ定年退職を迎えるサラリーマンのhossieです。高校は進学校には行けず、その高校でも下位の成績に甘んじていましたが、一念発起して受験勉強に取組み、偏差値31から早稲田大学法学部に合格しました(高校創立以来、初の合格者でした)。
hossie
 全くの劣等生だった自分が受験勉強に正面から向き合ったことで、その後の人生がより豊かなものになりました。

⓯桜咲く!早稲田大学法学部に合格、周囲からは驚きの声が!!

 長かったような短かったような浪人生活も、あとは早稲田大学の合格発表を残すのみとなりました。
 当時の合格発表は番号を学内に掲示する方式でしたが、私の家から早稲田大学までは2時間近くもかかり、電車代も馬鹿にならないことから、早稲田の合格発表は3学部分をまとめて見に行きました。
 まずは政治経済学部から見ましたが、やはり不合格でした。
 後に大学に問い合わせをして分かったのですが、私の得点は最低合格ラインに10点及びませんでした。
 政治経済学部の入試は230点満点でしたので、合格ラインには遠く及ばなかったことになります。
 まあ仕方がありません。この結果は試験を受けた直後に予想していましたから。
 続いて法学部の掲示を見に行きました。
 そこには私の受験番号がありました。でも信じられずに何度も見返しましたが、やはり間違いなくあります。
 法学部の合格発表は1日前ですので、私以外に掲示板の前には誰もいなかったと記憶していますが、何故か周りをきょろきょろと見回す自分がいました。
 合格者は入学手続き書類を貰う必要があるので、案内に従って書類を取りに行きました。
 早稲田大学の封筒に入った入学手続き書類をもらっても、全く実感がわきません。
 ボーっとしたまま建物を出たのですが、私はハッと我に返りました。「そうだ家に連絡しなくちゃ!」
 携帯電話の無い時代ですから、連絡手段は公衆電話しかありません。
 程なく電話ボックスを見つけ、10円玉を握りしめながら母親に連絡をしました。「お母さん、法学部に受かってたよ!」
 母はとても喜んでくれました。「良かったねぇ」と電話越しに涙ぐんでいたのが分かりました。
 そのあと商学部の合格発表を見に行きました。
 商学部にも受かっていましたが、法学部に合格した後だったので、もう感激はありませんでした。
 念のため商学部の必要書類も受取って帰路につきましたが、そこから家に帰るまでの状況について、私は全く何も覚えていません。ある種の興奮状態だったのでしょうか?
 東西線に乗ったことも山手線に乗ったことも全く記憶にないくらい頭が真っ白になっていたのでしょう。
 かくしてこの日、私の早稲田大学への進学が決まりました。
 
当時の合格発表は、大学構内に合格者の受験番号が張り出される形式でした。
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 大学受験の最終結果は以下の通りとなりました。
・早稲田大学法学部 〇合格
(高校初)
・早稲田大学商学部 〇合格
・上智大学法学部 〇合格
(高校初)
・成城大学法学部 〇合格
・青山学院大学法学部法律学科 〇合格
・学習院大学法学部政治学科 〇合格
・早稲田大学政治経済学部 ×不合格
・慶応大学法学部政治学科 ×不合格

 その数日後、私は母校のS高校に行き、高3の時の担任だった本多先生に早稲田大学法学部に合格したことを伝えました。
 凄くビックリするだろうと思って行ったのですが、本多先生は「そうか」と一言言っただけで、あとは世間話に終始しました。
 これには流石の私も拍子抜けしてしまいましたが、私の周囲の仲間たちはびっくり仰天し、瞬く間に私の早稲田大学合格の噂は仲間内で広まって行きました。
 受験を勝ち負けで表現するのもどうかと思いますが、結果は6勝2敗と大きく勝ち越しました。
 一年前の6戦全敗からすると、大きくジャンプアップすることが出来ました。

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