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私の履歴書

 無名の県立高校でビリだった私が、何故学校創立以来初の早稲田大学法学部の合格者になれたのか、そのきっかけとなった出来事とその後の人生についてご紹介します。

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●第四章
いよいよ受験本番、「やるだけはやった」と言う開き直りの心境
⓬受験直前、もはや焦りなどなかった

 浪人時代の一年間はあっという間に過ぎて行きました。
 前期が終わった時に私はA組からB組に落ちていました。ショックではありましたが、予備校に入った時の力が元々なかったので、これは仕方がないと思っていました。
 それを取り返すべく、夏休みは前期期間に習った内容の復習をとにかく必死でやりました。実際に受験をしてみての感想ですが、夏休みの期間は受験の合否を分ける最も大切な期間だと思います。
 夏休みが終わって初めての模擬テストで、これまで以上の手ごたえを感じたからです。
 それは前期期間の復習を愚直に行った成果の賜物でした。夏休み後は、予備校の授業の合間にも単語や漢字の勉強をすることにしました。
 予備校の仲間たちから「hossieは休み時間も勉強してスゲーな」なんて言われましたが、とにかく不安で仕方がなかったんですよね、一年で間に合うかどうかが。
 でも努力は裏切りませんでした。私のような地頭も記憶力も良くない劣等生でも、必死で取組めば自然と成績が伸びて行きました。
 12月になり、後期の成績が発表されました。
 私の順位は1,100人の在籍者の中で40番にまで上がっていました。この時点で大躍進です。
 当時の私文2類では、150番以内に入っていればほぼ確実に早慶に入れると言われていましたので、私はこの時点でかなり可能性の高いところまで来ていたことになります。
 後期のカリキュラムが終了した時点で、予備校のチューター(クラス担任)による面談がありました。
 チューターは大学を卒業したばかりのMさん。香坂みゆきさん似の美人で、何故か私のことをよく気にかけてくれ、可愛がってくれました。
 面接の時点で既に受験する大学を決めていましたので、それらの大学が妥当なのか、合格の見込みはどうなのかと言う内容の面談でした。
 私が受験しようと思っていたのは、慶応大学法学部政治学科、早稲田大学政治経済学部経済学科・法学部・商学部、上智大学法学部法律学科、成城大学法学部、青山学院大学法学部法律学科、学習院大学法学部政治学科の8校でした。
 Mさんは私にこう言いました。「hossie君の今の成績なら、受験する早慶上智の5つの学部うち、2つは受かると思うけど、どの学部に受かるかは分からない。このレベルになると水物だから。まあhossie君が受ける中なら英語と社会のウエートが高い慶應の法学部が一番可能性が高いんじゃないかな?」
 実はこの頃、私は慶応大学でのキャンパスライフに憧れを持っていました。
 慶応大学に通っている従妹から「慶応には美人がいっぱいいるから、慶応は絶対にお薦めだよ!」と言われていたことに加え、浪人時代に唯一見たテレビ番組の「青が散る」(宮本輝さんが原作の青春小説で、石黒賢さんと川上麻衣子さんが主演のテニスサークルを舞台にした甘酸っぱい物語)を見て、「俺は大学に入ったらテニスサークルで青春するんだ」と強く思っていて、そのサークルのイメージが慶応大学だったからです。
 物凄くミーハーな理由ですが、慶応大学に対する思いは日に日に強くなって行きました。
 予備校のチューターから「受験する学部のうちの2つには受かる可能性が高い」と言われたものの、ついこの間まで劣等生だったこの私が、慶応や早稲田に受かると言うイメージは、最後まで全く持てませんでした。
 でももうこの時点で焦りはありませんでした。「やるだけやったのだから、あとは運を天に任せて受験するしかない」そんな気持ちを持っていました。

 次の頁は『⓭第一志望の慶応大学で大失敗!そして意外な大学から合格通知が!!』です。
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