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受験役立論
受験勉強は人生をより豊かにする!
定年間近のサラリーマンからのメッセージ
「受験勉強は意味がない」
「勉強は嫌いだからしたくない」
そんな学生諸君に伝えたい!!
『受験勉強は、こんなに役立ちましたよ』
2/20㌻:❷高校では部活に明け暮れ、定期テストは0点でなければ満足

 もうすぐ定年退職を迎えるサラリーマンのhossieです。高校は進学校には行けず、その高校でも下位の成績に甘んじていましたが、一念発起して受験勉強に取組み、偏差値31から早稲田大学法学部に合格しました(高校創立以来、初の合格者でした)。
hossie
 全くの劣等生だった自分が受験勉強に正面から向き合ったことで、その後の人生がより豊かなものになりました。

❷高校では部活に明け暮れ、定期テストは0点でなければ満足

 高校に入学後、友達に誘われて陸上部に入部することにしました。
 私が通っていた高校は部活動や体育祭などの学校行事が盛んで、私もこの学校に来たからには何かやろうと思っていました。
 陸上部に入ったのは、他に出来そうなスポーツが無かったと言うのが正直な所でしたが、足も大して速くなかったので、練習について行くだけでも大変でした。
 陸上部に入部した新入生は、私を含めて10名いました。
 私の所属していた中長距離ブロックは7名でしたが、陸上経験者は後に主将となった金田君1名だけ。私たちの期は完全な素人集団だったので、金田君を除いては全員中学生以下のレベルでした。
 最初のスポーツテストの1,500m走で5分を切った者が一人もおらず、あまりのレベルの低さに顧問の先生や先輩たちの顔には落胆の色がありありと見えました。
 高1の秋くらいから試合に出るようになりましたが、私たちの期はほとんどビリに近い順位ばかりで、悲惨な状況を見兼ねた顧問の先生は、ある決断をしました。
 12月のある日、我々の学年全員が呼ばれ、顧問の先生は私たちにこう言いました。
「いいか、よく聞け。今のみんなの実力では、高校3年になっても個人で県大会に出ることは難しい。だから駅伝一本に絞って練習をして、全員の力で関東大会を目指そう!」
 この提案に私は否定的な考えを持ってしまいました。「個人で県大会にも行けないのに、皆でやったって関東大会なんて行けるわけないよ」
 私の後ろ向きな発言に、友人の田上くんは猛反発しました。
「hossie、そんなこと言わないで皆で関東大会を目指そうぜ!」普段温厚な田上君のあまりの迫力に何も言えなくなってしまい、後ろ向きな気持ちはあったものの、皆と一緒に駅伝の練習に取り組むことにしました。
 その一年後に幸か不幸か、物事は取り組み次第で結果が大きく変わることを学ぶことになります。
 毎日最低10㎞、夏合宿では1日30㎞以上も走り込み、県立高校としては相当厳しい練習をした結果、私以外のメンバーは順調にタイムを伸ばし、想定していた5,000m16分30秒を全員が突破しました。
 私に猛反発した田上君はチーム内で最も成長し、横浜市民戦の5,000mで優勝するまでになっていました。
 最初のスポーツテストの1,500mで私よりも遅いタイム(5分40秒)だった彼が、ここまで成長したのです。
 私は記録を伸ばし切れずに後輩にもタイムで抜かれ、本番前日にメンバー落ちと言う憂き目にあいました。
 県高校駅伝の結果は過去最高の13位となり、関東大会出場(6位入賞)こそならなかったものの、目標に近いタイムで走り切りました。
 好成績に沸く仲間たちを尻目に、私はひとり涙しながら帰路に着きました。
 私は余りの情けなさとショックで、大好きだった高校を2日も休んでしまい、その後一週間部活を無断欠席しました。
 友人の田上君からは「hossie、練習やろうぜ」と声を掛けられましたが、「俺もう辞めるから」といじけた返事に終始していました。
 ところが一週間もすると頭も冷えて、今部活を辞めることは恥ずかしいことだと思うようになりました。
 中途半端な気持ちで練習をしていたことが、全ての元凶だと気づいたからです。皆に頭を下げ、再び練習に戻りました。
 その後私は人が変わったように練習に集中しました。もう二度とあんな嫌な思いをしたくなかったからです。練習は正直で、一生懸命やれば結果はそれなりについて来ます。
 県大会にはあと一歩で出場できなかったものの、自分の納得できるタイムを出して、陸上部を引退することが出来ました。
 そしてこの時に頑張れた体験が、その後の人生にもプラスの影響を及ぼすことになります。
 話を勉強の話題に戻します。
 陸上部の練習がかなりきつかったこともあり、授業中はほとんど寝ていました。中学の頃から勉強が出来なかった人間が何も勉強しなければ、どん底まで落ちるしかありません。
 高校3年間を通じて、学校の成績は常にクラスで下から5番以内でした。それでも自分が馬鹿だと気付かない、脳天気な状況だったのです。
 そんな状況でしたので、定期テストの点が悪くても全く気になりませんでした。
 
0点で無ければ良しとしていました。点数が悪くて恥ずかしいと言う思いもありませんでした。
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 ただ流石に0点はマズいので、それだけは避ける努力?をしました。
 例えば世界史の試験では「カノッサの屈辱」は絶対に試験に出るだろうと思い、40か所くらいに「カノッサの屈辱」と書き込み、1点を確保しました。
 その他の○×で点を拾い、この時の世界史の点数は5点(何と140点満点の試験でです💦)と何とも酷い点数でしたが、0点にならなかったことで満足していました。
 物理も酷かったです。公式を覚えないで試験に臨むのですから、点が取れる訳がありません。
 お情けの中間点のみの2点なんて時もありました。
 この時、私の後ろの席の細山君は、何と0点でした。細山君は一浪の末、青山学院大学経済学部に合格します。
 彼は「まぐれで受かった!」と言っていましたが、そうは言っても彼も頑張ったのだと思います。
 うちの高校からでは、青山学院大学にはなかなか受かりませんから。

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